協会のあゆみ

昭和25年~平成8年

平成9年~

昭和24年

  県、各市町で計画的な舗装工事発注始まる
官民一体での舗装技術の研究会づくりの気運高まる
昭和25年 3月
4月
路舗装要綱制定
発起人7人で静岡県道路舗装研究会設立
関谷金一氏が幹事長に就任
昭和27年 2月 会長制となり関谷氏が初代会長就任
昭和28年 4月 日米行政協定道路第1次事業開始
昭和29年 4月
11月
県下初の400ヤードプラント新製品設置
建設機械抵当法が設立し、舗装機械も融資対象に
昭和31年 5月 関谷会長辞任
会長未定のまま副会長2人態勢で運営
昭和33年 4月
9月
2代目会長に山崎彦策氏が就任
静岡県道路舗装工事共同企業体連合会設立
コンクリートからアスファルト舗装に移行
昭和34年   プラント全自動式になる
昭和36年 5月 3代目会長に中村四市氏が就任
昭和38年 7月 建設大臣から優良団体として表彰
昭和41年 4月 4代目会長に中村丑太郎氏が就任
昭和43年 6月 瓜生公一氏がアスファルト舗装機械を改良して
県知事賞を受賞
昭和44年 11月 創立20周年記念式典を県建設会館で開く
昭和45年 5月
8月
5代目会長に北沢英一氏が就任
県土木部が長期道路整備計画打ち出す
昭和48年 11月
12月
オイルショックで工事施工困難に
資材高騰で緊急臨時大会開く
昭和49年 6月
11月
井出重信氏が6代目会長に就任
創立25周年記念式典を県建設会館で開く
昭和50年 4月 研究会は県建設業協会の活動に一本化され「道路舗装部に」
昭和51年 8月 中村進氏が部会長就任
昭和52年 4月 インドネシアに道路視察
昭和54年 5月
11月
創立30周年記念式典をクーポール会館で開く
本四連絡橋の向島大橋、大三島橋現場視察
昭和55年 1月 修善寺下田線災害復旧のループ橋工事現場視察
昭和57年 3月 部会解散を決議
昭和59年 6月 中部舗装工業会静岡県支部設立総会
会長に宮城島光二氏が就任
昭和61年 9月
10月
国道1号BP丸子トンネル現場見学
韓国・五輪会場など視察研修
平成2年 6月 タイへ海外現場道路視察
平成3年 4月
10月
都田地区テクノポリス事業現場県G無く
静岡競輪場走路改築工事現場見学
平成5年 3月
4月
11月
中部舗装工業会静岡県支部解散
静岡県道路舗装協会発足、宮城島氏が会長に
横浜みなとみらい21地区現場視察
平成7年 7月 上信越自動車道須坂舗装工事現場見学
平成8年 11月 ベトナムに海外建設現場視察